先日、友人が私を訪ねてきました。
友人が先日参列した葬儀での出来事について話してくれたのですが、それは深刻な内容でした。
「古い友人の葬儀で、参列者同士の感情的な対立が起きてしまい、とても辛い思いをした」とのことでした。
その葬儀では、故人に関する過去の出来事を一部の参列者が蒸し返したことがきっかけで、家族や友人たちの間で感情的な衝突が生じたそうです。
普段は穏やかな人たちも、その場では故人の行動に対する思いが交錯し、葬儀の雰囲気が一変してしまったと知人は話していました。
「故人を悼む気持ちと、このような状況になってしまったことのダブルパンチで、かなりへこみました」と知人は続けました。
私はその話を聞きながら、故人を送り出す場が対立の場となってしまったことに胸が痛んでなりません。
葬儀は故人の生涯を振り返り、感謝の思いを込めて送り出す場であるべきです。
しかし感情的な対立が生じると本来の目的が見失われ、遺された方々の間に亀裂が生じてしまうことがあります。
このような状況を目の当たりにすると、私自身も葬儀の本質について改めて考えさせられます。
知人には、「友人の方々が少しずつでも歩み寄り、故人への思いを共有できる場を持てるよう、あなたがその橋渡し役となる方法を考えてみてはどうでしょうか」
とお伝えしました。
また、必要であれば住職として私も話し合いの場に立ち会い、感情が整理されるようお手伝いすることを申し出ました。
この話を通じて、私は葬儀の場が悲しみを癒やし、遺された方々が心を通わせる場となるよう、これからも寄り添い続けることの重要性を改めて感じました。